PDCAを回そう。
断捨離です。 大学生という身分から大学院生という身分になりました。これを世間では、入院するというみたいです。
PDCAサイクルというマネジメント方法をご存じでしょうか。
この曲を聴くと一発でわかります。やっぱ崎体さんはすっげ。※崎体とは岡崎体育の略称です。流行らない略称ですみません。
このPDCAサイクル、弊上司が非常に好きでありまして実践を強制推奨しています。
去年一年間の研究はその影響を強く受けてPDCAを用いてマネジメントしましたがそう簡単ではなかった…
そこで!PDCAをうまく回すコツを収集したい!よ!
(ブログというのはTips共有ツールになるのか、実験も兼ねて。)
まず自分でつかんだコツを2つ。
- Check可能なPlanを立てる。
- Check、Actを最小化するようにサイクルをたくさん回す。
例えば毎日教科書を10ページ読むというPlanを考えます。
Check可能とは進捗がPlanに対して定量的に評価できる状態を指します。
この場合5ページ読んだら50%の達成というCheckになります。確かに定量的に評価できました。
しかし本当に100%達成し続けられる人は多くないでしょう。多くの人は一昨日は100%、昨日は30%、今日は50%というCheckになると思います。毎回異なる評価に対して「んーじゃあ、明日はこうしよう」なんて考えるのは慣れないと非常に辛い。そうならないために初めはPlanを簡単にしてCheckで出来た/出来ないを瞬時に判断して継続出来る/出来ないだけを判断するのがよいと思います。
例えば毎日10ページじゃなくて、毎日教科書に触るとか。
僕はポンコツ生まれのポンコツ育ちなのでこのレベルまで落として上半期のラボ日和を過ごそうと思います。
PDCAを回すコツは所説あると思っているので、いろんな意見を目にできると嬉しいです。
コメントよろしくお願いします。
アデュー。
卒論提出完了
卒論を提出し終えました。
勉強が足らんなぁという気持ちでいっぱいです。悔しい~~。
さて、今後はこのブログのコンテンツを増やしていきたいっすね。
インターンメモ。
K県某所、最寄り駅からバスで30分の僻地に大きな面構えをした某メーカーでインターソに来ています。
自宅から通えないので寮を借りました。寮の近くにはコンビニとパチンコ店しかありません。どこにも行けないし定時で暇だしパチンカスにでもなろうかしら。
備忘録、兼、似たような境遇を歩むかもしれない人に向けてちょっとしたメモのつもりで書きます。
零日目。
夕方入寮。かなり綺麗。一通り館内案内をされ、共有浴場を見つけた僕は他人の裸を見続ける覚悟をしなければ、と思っていたところ部屋にバスユニットを発見!後から聞いた話ですが風呂トイレのないタイプの部屋のほうが多いそうで。ラッキー
一日目。
台風。折り畳み傘では分が悪い。一足しかない靴が水没する。オリエンテーションの部屋に到着すると他に5人の男性、どうやら僕が最後だったみたいだ。諸々の説明を受け、企業秘密は守ってね♡という誓約を交わし、自己紹介タイムへ。インターンといえば、様々な大学の人と最高の仲間!圧倒的成長!を執り行うのがマナー、、どんな人がいるのだろうと緊張していると
「北海道は函館高専がらぎますだ」
!?!?
確かに、就職活動をするのは大学生に限ったことではない。しかも理系の場合、高等専門学校も立派な学歴であることを完全に失念していた。
次はどんな人か、、と思いきや残り4人も高専生。完全に僕の予想を裏切る形となったが背景の大きく違う人と接することは逆に多くのものが得られる。気持ちを切り替えていこうとした矢先、
「断捨離君は開発チームなので先に案内しますね。他の方は技術チームに配属です。」
これが学歴か。
ブルーワーカーとホワイトワーカー。
衝撃の一日目でした。
学校の違いはこんな感じらしい。初めて知ったし知る由もなかった。
二日目。
水没した靴が死ぬほど臭い。乾かす場所ないんだもん。
昨日に引き続き業務に取り組む。デュアルディスプレイに感動。思ったより人同士の絡みは少なく各々黙々とPCと対峙している。理系企業なのでやはり女性は少ない。理論より利益、完璧な対応よりも素早く的だけを得た方法を優先するという大学にはない企業らしさを感じられたのが印象的な日でした。
三日目。
下駄箱を開けるとスメルテロ。もう捨てよう。
業務に一区切りつけられた。明日は別チームの人とその打ち合わせです緊張~~~。
論理立てて考えられても伝える言葉を選ばなければならないと痛感した。特に文面にすると残ってしまいますし、ぼやかしごまかしは大人のテクだそう。人並プラスアルファくらいにはoffice製品使えないと困るということも地味に重要だと思いました。
友達について、まとまりのないお話。
まずはこのエントリーを紹介します。
【人間関係】友達が少ない人ほど信用できる理由。 - 未来は変えられるの?
物議を醸しそうな雰囲気出してますよね。こういう記事はツッコミの練習台として楽しいです。
そうは言うものの、僕はこの記事に7割方賛成。人付き合いの苦手な僕には共感が多かった。常々予防線として「友達少ないからさ」と口にしてきただけはある。
友達という言葉は扱いに困る
薄いコミュニケーションしかとっていないにも関わらず。すぐに友達扱いすることは、相手を軽んじる行為だと理解しているからです。
友達という定義をくっきり持ってしまうと友達とそうでない人に対して境界線を引いてしまうのです。
紹介した記事からの引用です。
人間関係はもっと複雑で自分と相手の関係を一言で表そうなどと試みるのが間違っているのだ!形容詞をいっぱい並べて表現したい!僕が行っているのは、言葉で人と人との境界線を作るというよりも、各々に名付けるイメージでしょうか。
英語のcompanyという単語はその点一言でも僕の言いたいニュアンスに近しいと思う。
互いに心を許し合って、対等に交わっている人。
一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。
国語辞典によると友達の定義はこうでした。
心を許す、対等に、親しい、これらの定義も曖昧ですから、友達という言葉は出来れば避けて生きたいのが正直な所です。
友達、の違い
大学に入って色んな人と出会う中で、『こいつ、胡散臭いぞ??』と思う人は大抵出会ったばかりの僕を友達と呼びます。
大学で生き延びるためには社交性が必要ですから、「せやな!君がそういうなら!(そうかもしれないけど僕は違うよ)」と答えます。
悪意あって人を友達と呼ぶ人はいません。100%の好意なんだけど、ひねくれに定評のある僕は相手を疑います。
疑いをもった相手には観察を続けます。すると、大まかに2タイプの人種に区別できるようになりました。ひとつは、心の底から人類皆兄弟と信じて止まないタイプ。もう一つは"友達"という信頼性、親密性を安易に利用しようとするタイプ。
前者にはただただ尊敬。爪の垢を煎じて毛穴という毛穴から流し込みたい。
後者は、、まあ、、うん、、そういう人もいるよね~多様性万歳!!
数年前の僕は何やら尖っていたので人間関係を断捨離していました。『この人は話合わせるの難しいなー(ポイッ』『都合のいい時ばっかり話しかけて来やがって(ポイッ』(HNはこれが由来)
今となってはかなり後悔しています。つまらんプライドを積み上げて自分に無いものを持ってる人を排斥してただけですよね。価値観が違う人と話すことは自分にとって得ばかり!ということに気付くのに時間がかかりました。(所謂)友達は大いに越した事はないね!
僕はやっぱり友達が少ないです。
でも僕の大事にしていきたい人ですからちゃんと胸を張ってどんな人なのかは言えます。
心底尊敬できる魅力を持ってる人達。
恥ずかしいから本人達には伝えないけど笑
これが言いたかっただけじゃないとか言わない!
現実vs虚構
※シン・ゴジラのネタバレを含みます。
日記を兼ねて。
虚構。
先日、大ヒット上映中のシン・ゴジラを見てきました。
ニッポン対ゴジラ。の通り、ゴジラという超高校級の鳥獣災害に対して日本(と言いつつもほぼ首都圏)が戦う元祖ゴジラ仕立てのストーリーである。
前評判の通り、、最高や!!!
ゴジラが最初に放射熱線を吐くシーンでは恐怖と共に神々しささえも感じた。人生で初めて"恍惚とした"という状態に陥りました(˙ㅿ˙ )
CG安っぽ!とか意外とあっさり解決したな…などなどツッコミ所はありましたが、邦画の底力を見ましたね。
僕の心境に非常に近しい感想を見つけましたので掲載。実際こんな感じでした笑
現実。
ゴジラの興奮冷めやらぬまま翌日を迎え、観光のために宮城は松島に向かいました。
日本三景で有名な場所ですね。
ブルーが綺麗。
松島、石巻を中心に観光を堪能しましたが訪れたどの観光地に行っても必ず、あるフレーズが傍にありました。
5年経った今でも傷跡は生々しく残っています。
津波によって流された参道。
当時の津波の高さを示す標識は数多く、ガイドさんの話にも度々登場。
諸島の多い松島では津波によって島の多くが被害を受け、土地の2/3がなくなってしまった島もあったと言います。
百聞は一見に如かず。見知らぬ土地に浮き足立つはずが固唾を飲むことになるとは。。
虚構?現実?
初めて直接、震災の痕を見たときに『これは現実に起きたことなのか』と目を疑いました。剥き出しの地盤、伸びた雑草、貼られた封鎖線。ニュースで取り上げられていた光景は現実でありました。
都心に住んでいた僕にとって画面の向こうの出来事、という点では震災の被害はゴジラ被害と同じ様なもんだと思っていました。すぐに日常は取り戻され、遠い被災地の報道は話題として消化されるばかりで。
ゴジラは原子力で動いている(意訳)という設定のために、劇中でゴジラは放射能、放射線をばら撒き、政府はその対応に追われる描写がある。
ここで気付く。ゴジラも現実であると。
映像作品として現実に存在しており、監督は作品を通して忘れざるべき震災を表現しようとしていた。映画を見た多くの人も感じたことでしょう。
現実を切り取ったニュースは虚構的に風化していく中、虚構的なSFは現実を重く伝えてきた。僕が畏怖を初めて感じた巨獣は、フィクションであり、象徴であり、現実であった。
被災地を目の当たりにする、という体験1つで価値観は大きく変わる。
結局そんな結論に至りましたとさ。